まんが
新連載 なげろ健一
山の子一平
ATOMICゴロー
忍びのヒデト
ゼロ戦特攻隊
進めボロチン部隊
オーケー学校
辻なおき
楠たかはる
佐藤ひろはる
諏訪栄
木村光久
宇田八郎
藤子不二雄
よたろうくん
ぱっちり赤ちゃん
別冊付録
なげろ健一
ATOMICゴロー
山の子一平
大空三四郎
やまねあかおに
森田拳次
辻なおき
楠たかはる
佐藤ひろはる
吉田竜夫
5月号予告
① あるきまわってかくしづつをうつ忍者ロボット ② 銀の十方手裏剣 ③ 別冊 なげろ健一 ④ 別冊 大空三四郎 ⑤ 別冊 山の子一平 ⑥ 別冊 ATOMICゴロー
ぼくら 1964年(昭和39年)4月号 辻なおき「なげろ健一」新連載号。武内つなよし「少年ジェット」、吉田竜夫「スーパージャイアンツ」、松本あきら「電光オズマ」の人気連載漫画を掲載して幼年期少年の支持が高かった『ぼくら』だが、これらの作品が連載終了すると誌面に精彩がなくなってしまう。辻なおき「なげろ健一」はこの号から連載を開始し読者支持が再燃する契機となった。以降、伊東章夫「オオカミ少年ケン」、久松文雄「風のフジ丸」、堀江卓「スパイキャッチャーJ3」、水木しげる「カッパの三平」など人気連載作が続々登場する。辻なおきは「なげろ健一」終了後「ばくはつ五郎」にタイトルを変えアニメ化もされた「ばくはつ大将」を連載し、『ぼくら』休刊時は「タイガーマスク」を連載中で、作品は後継誌『ぼくらマガジン』に移行連載された。
別冊付録 大空三四郎 吉田竜夫 66頁
ジャイアンツ 巨砲三人男
新連載 なげろ健一 辻なおき 8頁+別冊付録66頁
大阪にある浪川高校野球部の橘健一はエースで4番打者である。高校野球で優勝を目指す健一に、父は肩を負傷して野球の道から退いたという自分の過去の経験から、学業も優秀な健一には大学へ進み一流企業に就職することを望んでいる。その父が不慮の事故あい・・・そして亡くなる間際に残したのは「なげろ健一」という言葉だった。健一は叔父に引き取られ東京へ向かう列車の中で再び甲子園に帰ってくることを心に誓う。 辻なおき・・・1935年、京都府に生まれる。54年、「魔王の目」でデビュー。少年雑誌の挿し絵などを経て、漫画家に転身。「0戦太郎」「0戦はやと」のヒットで戦記ブームの一翼を担うほか、原作者の梶原一騎と組んだ「タイガーマスク」「ジャイアント台風」などスポ根漫画ヒット作も手がける。97年没。
山の子一平 佐藤ひろはる 原作:八木基克 9頁+別冊付録66頁
アトミックゴロー 楠たかはる 原案:関沢新一 原作:新井豊 7頁+別冊付録66頁
忍びのヒデト 諏訪栄 33頁
小島剛夕(諏訪栄)・・・1928年三重県に生まれる。父親が肖像画家のため幼少より絵を描いたが、さまざまな職業を転々とする。58年に上京して紙芝居画家に。58年「かげろう殺法」で貸本デビューし、ひばり書房より貸本時代劇を発表、静かな支持を集める。白土三平の赤目プロのアシスタントとして「カムイ伝」などの作画に協力。その後『週刊漫画アクション』連載の「子連れ狼」が大ヒットとなる。「乾いて候」「半蔵の門」など数々の作品を青年誌に発表した。現代漫画博物館 ペンネーム諏訪栄・・・その由来については本人が次のように語っている。漫画家として仕事も軌道にのりはじめた頃専属契約を結んでいた出版社との契約関係で小島剛夕という本名では仕事ができず、ペンネームが必要になったことがあった。剛夕は故郷の三重県・四日市市にある県社・諏訪神社に名を借り、諏訪の街が栄えてくれることを願って諏訪栄と名乗った。
ゼロ戦特攻隊 木村光久 32頁
よたろうくん やまねあかおに 15頁
初出『少年クラブ』56年1月号〜62年12月号/『ぼくら』63年1月号〜67年7月号 主人公の小川よたろうは、体ばかりが大きくなり、頭のなかは小さいと言われている。弟のきんぼうは愚兄賢弟を地でいくしっかり者。父親は明治生まれの頑固者だが、人がよく、少しばかりオッチョコチョイである。母は家を守る家庭婦人。この4人家族と近所の子どもたちの生活が描かれる。 山根赤鬼・・・1935年、富山県に生まれる。49年、双子の兄と交代で執筆した「北日坊や」(『北日本少年新聞』) で中学2年のときデビュー。田河水泡に師事し、赤鬼のペンネームをもらう(兄は青鬼)。「よたろうくん」がヒットし少年誌にユーモア漫画を描く。89年、田河水泡から「のらくろ」を描くことを任される。そのほかに学習誌に描いた「かばどんとなおみちゃん」「まんが5・7・5」(88年、第17回日本漫画家協会賞)、「かのこちゃん」「バリバリ丸井せん平」「のらくろ川柳漫画」などがある。2003年没。現代漫画博物館
オーケー学校 藤子不二雄 16頁
ぱっちり赤ちゃん 読切 森田拳次 8頁
すすめ‼︎ボロチン分隊 宇田八郎 8頁