





・快傑ハリマオ
・マッハ三四郎
・風の石丸
石森章太郎
九里一平
白土三平
・かんばれゴロちゃん
・少年ロケット隊長
・オイチニぼうや
よこたとくお
大野ゆたか
そのやましゅんじ
折り込み口絵(B5横)夢のジェット旅客機
当時の口絵や巻頭グラビアには、こうした近未来の科学を描いた図解が多く掲載され、少年たちの未来への夢を大いに駆り立てた。

『少年マガジン』1960年(昭和35年)49号[講談社発行]
▪️新規書棚設置!
日本初の少年週刊誌として同時に創刊された『少年マガジン』と『少年サンデー』から、『少年マガジン』の書棚を設置。最初の紹介は創刊翌年の年末、49号である。ここから行きつ戻りつしながら、手塚治虫が切り開いたストーリー漫画の世界が成熟期を迎え、劇画が漫画誌を席巻する昭和40年代初頭までの『少年マガジン』を紹介。
▪️黎明期を支えた名作の数々
『少年マガジン』最初の長期連載作「マッハ三四郎」とテレビドラマの漫画化で最初のスマッシュヒットとなった「快傑ハリマオ」、そして、白土三平を起用した「風の石丸」の掲載号。「風の石丸」の「竜煙の書の巻」は後に『少年忍者 風のフジ丸』の原作となり、1964年6月7日からテレビアニメが放送された。このアニメ化に際してキャラクター設定の依頼を受けた久松文雄が、その後に月刊誌『ぼくら』の連載作にも起用され、アニメと漫画双方のヒットは、久松文雄の人気を一気に押し上げた。
▪️総合雑誌としての面影を残す誌面
まだ月刊誌の流れを汲む総合誌としての色合いが濃く残る編集内容であることが目次ページから読み取れる。また、漫画ページの右下に掲載された「少年少女新百科事典」はテレビ時代に合わせた情報源や学びのコーナーとして機能した。

第二次世界大戦直後の東南アジアを舞台に、サングラスと白いターバンで素顔を隠した謎の男「ハリマオ」の活躍を描く冒険活劇。全アジア支配を狙うジャワ統治長長官や悪徳商人、殺人結社と戦い、アジアの平和を守るためハリマオの銃が吠える壮大なロマン。
多くのメーカーがバイクを制作していた時代、音速超えのマシンが夢の、父が作った「ゴールデンアロー号」を駆る早船三四郎の活躍を描いた痛快アクション。父の作ったバイクと優れたライディングテクニックを武器に、犯罪組織やライバルとの戦いに挑む。
少年忍者・風の石丸の活躍を描く戦国漫画。殺された師匠から奪われた「龍園の玉」を取り戻すべく、親を探す少女あけみや不思議な少年太郎とともに、それを持ち去った筑波剣流を追う。一方、龍園の秘密を狙う真田幸村や徳川家光も石丸を狙う。
小学生のゴロちゃんは友達と「どろんこチーム」を結成。チームメイトの闇太郎らと時に言い争ったりしながら元気に練習に励む日々。ある日、対戦相手を探していると、漫画家のよこたとくお率いる漫画家チームと試合をすることになる児童漫画。
日本の月ロケット1号の事故で父を亡くした川上英雄は、父の志を継ぎ少年ロケット隊員となる。そこで英雄は湯島修一らとゼロ式円盤に乗り、砂田教官のもとで厳しい訓練を受けながら地球防衛隊の任務に就く、スケールの大きいSFサスペンス漫画。
少年マガジン1959年(昭和34年)創刊号






週刊誌の創刊と時代背景
手塚治虫が切り開いたストーリー漫画の世界は、昭和30年代半ばに第一期黄金期の頂点へと達する。当時は月刊少年誌が主流だったが、高度経済成長に伴う印刷・流通技術の発展と、昭和34年の皇太子(現上皇)の御成婚により爆発的に普及したテレビの番組構成が子どもたちのライフサイクルを週単位に変えていくことになる。漫画も「もっと早く続きが読みたい」という需要の過熱により、出版界は週刊化へと舵を切る。こうして昭和34年(1959年)、『少年マガジン』と『少年サンデー』が同時に創刊された。
創刊翌年の昭和35年、劇画漫画家の白土三平が『少年マガジン』29号から「風の石丸」の連載を開始。本作は静かに読者の支持を集め、貸本漫画から商業誌へと劇画が本格進出する足がかりとなるとともに、多くの若者が劇画漫画家を目指し奮起する契機となった。昭和40年代に入ると、この劇画表現のエネルギーを取り込んだストーリーにより、漫画はさらなる第二期黄金時代を迎えることとなる。
週刊誌目次から見える創刊初期の方向性
創刊号の目次を見ると記事、読み物、グラフが誌面の40%占めている。テレビから送り出されるさまざまな情報が子どもたちの関心事になるだろうことを見越してこれらに力が入れられている。漫画連載陣は以下の通りであった。
・左近右近
・疾風十字星
・冒険船長
忍一兵
山田えいじ
遠藤政治
8ページ
7ページ
8ページ
・13号発進せよ
・もん吉くん
高野よしてる
伊東あきお
8ページ
2ページ
各作品のページ数は少なく、4週分を想定すると28ページから32ページと物語のスピードは未だ月刊誌をわずかに超える程度であった。週単位で作品を仕上げるという未知の世界に挑む漫画家たちへの配慮が窺える。


















