りぼんカラーシリーズ38はシリーズ1 「ふたりの花物語」 以降、全9作をシリーズに発表した竹本みつる作品である。娘を亡くした画家、矢沢が孤児の恵子を引き取るも、パリの大劇場の壁画を描く仕事中の事故で視力に障害が・・・。「りぼんの付録全部カタログ」 集英社刊のインタビュー記事と 「ヒヤシンスの花嫁」 のダイジェストです。
りぼんカラーシリーズ38
ヒヤシンスの花嫁
竹本みつる 作
おおくの人にすぐれた漫画をよんでいただきたい。このねがいをこめておおくりするのが「りぼんカラーシリーズ」です。
ひとつひとつの作品がいつまでもみなさんの心のかたすみに生きつづければうれしく思います。りぼん編集部
カラーシリーズ・インタビュー
記念すべき、カラーシリーズ第1巻目の作者、そして、シリーズ最多の9作をお描きになった竹本みつる先生のお話です。
手塚先生の「新宝島」が、まんがを描くきっかけでした。昭和22年に出た本ですから、読んだのは中学校へあがるころだったと思います。東映映画などをみては、見よう見まねで映画をまんがにしたのを手はじめに、高校生になると北陸本線で1時間くらいの金沢までしょっちゅう行っては「北國新聞」の「少年プレス」という少年版のページに、さし絵や子どもまんがを描かせてもらいました。
自分のまんがを描いてみようと思ったのは、高校を卒業してすぐです。ずっと描いたり消したりしている「少女と宝石」という少女まんががあって、それを抱えて上京し、ある出版社をたずねると、編集者のOさんが松本零士さん(まだ晟といっていましたが)を紹介してくれました。
松本さんはわたしの大恩人です。わたしをトキワ荘に連れていき手塚先生に紹介してくれて、「少女と宝石」を見ていただくことができました。手塚先生は決してほめません。わたしにとって最後まで厳しい”まんがの神様”でしたね。2作目を描いてOさんに見てもらうと、若木書房という貸本マンガの出版社を紹介してくれて、1冊分128ページか短編32ページを毎月描くようになりました。
そこで描いたうちのひとつがカラーシリーズ第1巻になった「ふたりの花物語」です。自信作でした。もう50年以上前のことですからどうして「りぼん」を訪ねたかはっきり覚えていないのですが、編集部でUさんというこわもての編集長が読んでくれて、「良かった。うちでなんとか日の目を見られるようやってみるよ」と言ってくれました。それからカラーシリーズがはじまって、全部で9作描いています。
読者からのお手紙はうれしかった。仕事が遅くて、1ヶ月で32ページ描くのがやっとだったわたしが128ページ描くのは大変でしたが、そのうれしさは今でも忘れられません。
引用:「りぼんの付録全部カタログ」集英社刊